市政だより 平成27年9月1日号 6・7面(テキスト版)
東大阪デザインプロジェクト 住関連新製品を開発
意欲ある企業を募集
喜多俊之工業デザイナーが監修
市では、市内企業の技術とデザインの融合により、世界市場で認められる機能性や感性価値を備えたデザイン性の高い製品を東大阪市内から創出していくため、世界的工業デザイナーの喜多俊之さんをデザインクリエイティブアドバイザーに迎え、デザインプロジェクト事業を進めています。
平成22年からスタートしたデザインプロジェクト事業において開発された製品の中には、デザイン性の高さが評価され、公益財団法人日本デザイン振興会が主催するグッドデザイン賞を受賞する製品も出てきています。
リノベーション市場に必要とされるモノづくり
現在日本では、限られた資源の活用といった環境の観点や人口の減少、少子高齢化社会、個人の暮らしへのこだわりなどから、既存の住宅を有効に活用していく一つの手段として、住宅を新築するのではなく、中古住宅を改修することにより快適な暮らしを実現する「リノベーション」という考え方が注目されています。
本プロジェクトでは昨年度に引き続き「リノベーション市場」をターゲットに、デザイン性が高く、使用者視点にたった価値を提供できる住関連製品を開発し、販路開拓をめざしていきます。
本プロジェクトに参加し、リノベーション市場へ向けた新製品の開発に意欲のある市内企業を募集します。
なお、商品化された製品は、喜多俊之さんがプロデュースするモデルルームなどでの展示を予定しています。
詳しくは市ウェブサイトをご覧いただくかお問合せください。
- 対象
- 市内製造業者
- 定員
- 3社程度(ヒアリング選考)
- 申込方法・申込み先など
- 申込用紙を9月11日(金曜日)までに直接(ファクス、Eメールも可)
- ※喜多俊之さんのデザイン監修費と販路開拓に向けたプロモーション指導費は市が負担します。製品開発に伴う試作費、材料費、人件費などは参加企業の負担です。製品によっては、株式会社喜多俊之デザイン研究所とのロイヤリティが発生します。
- 申込方法・申込み先など 問合せ先
- モノづくり支援室 06(4309)3177、ファクス06(4309)3846、Eメールアドレス monodukuri@city.higashiosaka.lg.jp
企業育成室入居者を募集
新しく事業展開をしていこうと考えている、または新製品の開発などを計画している中小企業者を対象に、低廉な価格で入居できる産業技術支援センター企業育成室(2室)の入居者を募集します。
- 対象
- 次の要件を満たす中小企業者
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- 資本金3億円以下の会社または従業員数300人以下の会社・個人
- 創業期、または新分野開拓を現在行っているもしくは行う予定で、企業育成室を利用することでその事業化が促進できる
- 使用施設・料金
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- 第1企業育成室(面積63平方メートル)=月56,700円、共益費20,223円、保証金170,100円
- 第4企業育成室(面積51平方メートル)=月45,900円、共益費16,371円、保証金137,700円
- ※電気代などの料金が別途必要。
- 使用可能日時
- 祝休日と年末年始を除く月曜日~金曜日9時~21時(入居は10月以降)
- 申込方法・申込み先など
- 申請書と必要書類を9月1日(火曜日)~18日(金曜日)に直接(土・日曜日を除く)
- ※申請書は市ウェブサイトからダウンロード可。
- 申込方法・申込み先など 問合せ先
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- モノづくり支援室 06(4309)3177、ファクス06(4309)3846
- 産業技術支援センター 06(6785)3325、ファクス06(6785)3363
中小企業振興会議が提言
豊かで住みよいまちへ
このほど、中小企業振興会議の近畿大学経営学部教授の文能照之会長と大阪商業大学総合経営学部教授の粂野博行副会長が市役所を訪れ、今後進めるべき中小企業振興施策や取組みなどに関する本市への提言書を野田市長に手渡しました。
中小企業振興会議は平成25年4月に施行された東大阪市中小企業振興条例に基づき、同年7月に設置され、本市の中小企業振興に関するさまざまな議論を重ねてきました。
提言書には、「モノづくりが元気なまち」「雇用が安定し働きやすいまち」「買い物しやすいまち」「農業と農地空間を大切にするまち」の4つのめざすまちの実現に向けたさまざまな取組みや対策などが盛り込まれています。
市では、提言いただいた内容に沿って実現可能なものから速やかに施策化を図っていきます。
- 問合せ先
- 経済総務課 06(4309)3174、ファクス06(4309)3846
特別コンサート
彩り豊か 東大阪の響き
9月13日(日曜日)、イコーラム(男女共同参画センター)で特別コンサートを開催します。
市では、多くの市民に生の演奏にふれてもらおうと市役所本庁舎や市民美術センターでコンサートを開催しており、今回はそれらのコンサートを拡大して実施します。
ぜひお越しください。
- とき
- 9月13日(日曜日)13時30分~15時20分(開場は13時)
- ところ
- イコーラム
- 定員
- 244人(当日先着順)
- 内容
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- 孔舎衙中学校合唱部による合唱「プレゼント」「私たちの星」
- 近畿大学吹奏楽部による金管十重奏「ラ・ペリよりファンファーレ」「もう一匹の猫クラーケン」など
- 串田えがくさん(バイオリン)と松永玲子さん(ピアノ)による演奏「愛のあいさつ」「ツィゴイネルワイゼン」など
- 問合せ先
- 文化国際課 06(4309)3155、ファクス06(4309)3823
ひるさがりロビーコンサート
- とき
- 9月26日(土曜日)13時30分~14時15分
- 定員
- 110人(抽選)
- 内容
- 澤田友里恵さん(フルート)と井上千賀子さん(ピアノ、クラリネット)による「秋のメドレー」「青春の輝き」「EARTH」など
- ※2歳~就学前幼児の保育あり。
- 申込方法・申込み先など
- 行事名、住所、氏名(ふりがなも)、年齢、電話・ファクス番号と参加希望人数(3人まで)・全員の氏名、保育希望の場合は子どもの年齢を9月14日(月曜日)(消印有効)までに往復ハガキで
- ところ 申込方法・申込み先など 問合せ先
- 〒578-0924吉田6-7-22 市民美術センター 072(964)1313、ファクス072(964)1596
終戦から70年
戦争体験者が語る疎開体験のおはなし
第2次世界大戦終戦から今年で70周年を迎えました。
市では、戦争の悲惨さと平和の大切さを多くの市民に感じてもらい、この体験を風化させないため、さまざまな取組みを進めています。その一環として7月28日、市役所本庁舎で「疎開体験のおはなし」と題して、市内在住の戦争体験者による講演会を実施しましたので、その内容を紹介します。
伝えることで平和な世界へ
この日は黒川泰子さんが、戦争当時に長瀬第一国民学校に教員として赴任し、空襲の被害を避けるため、子どもたちを連れて疎開した経験などを語りました。
黒川さんは、戦争の体験を多くの人に伝えることで、戦争のない平和な世界を築いてもらおうと現在も活動されています。
- 黒川泰子さん(90歳)
- 1925年4月2日、東大阪市小阪で生まれ、戦争当時、長瀬第一国民学校(現在の長瀬北小学校)に教員として赴任し、戦争を体験されました。
疎開体験
戦争
辛抱と我慢 食べることも泣くことも
人の命を狙って殺すかわりに、自分も殺される、それが戦争です。だから一時も心が休まるときがないのです。
学用品や食べ物、服などもだんだんなくなっていきます。みんな兵隊さんに物がいくのです。『兵隊さんは我々の命を救ってくれる大事な人だからおまえたちは辛抱しなさい』『辛抱せよ、辛抱せよ』と言って、食べ物がなくてお腹が減っても我慢を強いられました。
私のお兄さんが中国の南京攻略で戦死しました。戦死して軍の兵隊さんが戦死の知らせを書いた広報を持ってきてくれました。
『戦死されました。誠におめでとうございます』と言われました。『おめでとうございます』を3回くらい言われました。私はそのころ、今の中学校1年生くらいです。なぜ戦死したのに『おめでとう』と言われないといけないのか。その言葉にショックを受けました。
泣くこともできなかったんです。広報を持ってきた人の前で泣くことができない。私の大好きなたった一人の兄でしたから、涙が出てもう泣きそうになったのですが、お母さんに『泣いたらあかん!』と言われ、私は泣くのを我慢し、両親も我慢していました。
人間は嬉しいときには笑う、楽しいときはおしゃべりしたり歌を歌ったり、悲しいときには泣きますよね。人間としての、喜んだり泣いたり、そういったこともできなかった。人間として扱ってもらえなかった。
兵隊さんが帰った後、押入れに入ってずいぶんと泣きました。人間の喜びも悲しみもまともなことができない。そんなことがあって大変ショックを受けました。
疎開
最後の別れになるのでは…
戦争がだんだん激しくなってきたころ、教員になったばかりの私は、子どもたちを守らないといけないということで、子どもたちを集め、学童集団疎開に行くことになりました。
4月の出発の朝、集まったとき、お父さんとお母さんは深刻な顔をしていました。『これが子どもたちとの最後の別れになるのではないか』というのが頭の中にありました。
『疎開先の福井へ行ったら先生の言うことをよく聞いて体に気をつけて大事にしなさい』。親は何度も何度も子どもの体を触り、別れを惜しみます。そんな親子を私たちは引き剥がすように連れて行くことになりました。
連れて行った子どもたちは、小学校2年生~4年生の46人。私も学校を卒業したてで、親のもとを離れたことがない。初めて離れて子どもたちを連れて行きました。
福井県の三方の駅に着くと、三方小学校の子どもたちが出迎えてくれ、『仲良くしましょう』と握手をしました。
悲痛
お腹が減った、父母に会いたい
1か月くらいすると、大阪といっしょで食べ物がなくなってきました。配給もなくなってきました。
それから1週間か2週間ほどたったころ、2年生の子どもが『お父ちゃんお母ちゃんに会いたい、帰りたい』と言い出しました。さぁ大変です。お話をしたり、歌を歌ったり、トランプしたり、カルタしたりして気を紛らわせようとして、一生懸命やりましたが、言い出したらお父さんお母さんの顔がぱーっと思い出して離れないんですね。そこへきてさっきも言ったとおり、また食べ物がだんだんなくなってきました。
自分たちで畑を作って、さつまいもを植えるなど、自分たちで生活を守るため、一生懸命したのですが、お腹がいっぱいにはならなかった。
お腹が減ってお腹が減って、お腹の皮と背中の皮がひっつくぐらいお腹が減った。『あーお腹減った、お腹減った』。お腹が減ったことと『お父さんとお母さんのところに帰りたい』。そればっかりが頭の中でいっぱいになっていました。
終戦
負けたってどういうこと?
役場の人が特別に来られて、『実は日本は戦争に負けた』のだと。『今まで勝つ勝つ勝つと言っていて、なんで負けたと。そんな馬鹿な話があるか』。私もとっさに思いました。『これはまちがいとちがうか。昨日までついさっきまで勝つと言うてたやないか』『「日本の国は神さんの国や。神風が吹いてくるから、負けることはないんや。勝つんや。みんな辛抱せえ辛抱せえ」と言うてたのに、負けたってどういうこと?』と役場の人に聞いたら、『広島に新型爆弾といわれる非常に怖い爆弾が落ちた。このために20万とも40万ともいわれる人が死んだ』と。
抑えていた気持ちがもう辛抱できなかったんでしょうね。真ん中に子どもたちが集まって、『わぁ――!』と大きな声で泣きました。私もいっしょになって泣きました。そして気持ちがふっと切れて、『だけどもね、戦争に負けたおかげで今日から電気も明るく灯すことができるよ。一番嬉しいことは皆さん、お父さんお母さんに会えるやないの』と話しました。
そして10月、やっと大阪に帰ってきました。汽車に乗ってずっとまわって敦賀から帰ってきました。
お父さんとお母さんを見た子どもたちの顔は、本当に嬉しそうでした。あんな笑顔はもう二度と見られない。なぜなら命をかけて子どもたちは疎開先へ、お父さんとお母さんもそれだけ覚悟をして、子どもたちを送り出されました。だから私も思いました。ノミやシラミに噛まれ、食べ物もないこんな苦労をするのだったら、なんでこんな疎開に連れてきたのかと何回も思いました。だけど命は保障されました。10月までの短い間だったので死ぬこともありませんでした。
平和
良い戦争も悪い戦争もない
戦争という愚かなことをやったばっかりに、多くの人の命が亡くなりました。私たちの周りにいた中学生、高校生、大学生、ほとんど死んでしまいました。そういう人たちのおかげで今の平和があります。
戦争というのは『良い戦争』も『悪い戦争』もないということを皆さん覚えておいてください。戦争は人と人との殺し合いですから、絶対に戦争はしてはならない。戦争をしたら平和はなくなる。
皆さんはこれからお友達と仲良く、あまり喧嘩をせず、人の物は欲しがってはいけません。この大きな戦争も人の物を欲しがった、ちょっとしたことから、僅かなことで起こりました。
お友達同士、仲良くしていても、ちょっとしたことが原因で喧嘩にもなりますから、そういうことも気をつけて仲良くしてください。