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東大阪市

あしあと

    F・G地区:長瀬~小阪

    • [公開日:2012年2月29日]
    • [更新日:2022年2月27日]
    • ID:7256

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    かつての映画撮影所に思いを馳せ、長瀬川沿いの史跡をめぐる

    コース

    長瀬駅(近鉄大阪線)-帝国キネマ長瀬撮影所跡-樟徳館-延命寺-鴨高田神社-長栄寺―渡シ地蔵―宝樹寺-帝国キネマ小阪撮影所跡-谷岡記念館-河内小阪駅(近鉄奈良線)[約4.5km]

    地図をクリックすると、拡大地図が表示されます。

    帝国キネマ長瀬撮影所跡  (菱屋西2-4-12)

    帝国キネマ長瀬撮影所跡の写真

     昭和3年(1928年)東洋のハリウッドと称せられた長瀬撮影所が開設されました。
     それは敷地面積約30,000平方メートルに3,000平方メートルのステージ2棟を含む最新の設備を備えた近代的な撮影所でした。同5年日本映画ベストテン第1位となったトーキー(有声)映画の「何が彼女をそうさせたか」などが撮影されました。
     しかし、撮影所は昭和5年9月30日火災により全焼。撮影は、京都の太秦撮影所を借りることになったため、長瀬に再建されませんでした。

    樟徳館  (菱屋西2-4-12)

    樟徳館の写真

     帝国キネマ長瀬撮影所跡に樟蔭学園の初代理事長の私邸として昭和14年に建てられました。
     屋敷内は書院造り系統の主屋のほか諸建物と洋式接客棟からなり、和洋折衷の建物です。最高の材料を使用し、造形の規範となることなどから、平成12年11月に国の登録文化財となりました。
    ※屋敷内の公開は、通常行われていません。

    延命寺  (菱屋西4-5-15)

    延命寺の写真

     寛文2年(1662年)ごろ、京都石清水八幡宮の祠のそばに一堂を建て、地蔵菩薩を安置したのが始まりといわれ、その後いく度か場所を移し、大正13年(1924年)に現在の地へ移ってきました。地蔵堂の本尊、地蔵菩薩坐像は、鎌倉時代末~室町時代の作で、府下でも類の少ない高さで4.25mもあります。寺の本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代中期の作で、高さ1.55m寄木造りで保存度が良く、地蔵堂の本尊と共に昭和50年に大阪府の有形文化財に指定されています。

    鴨高田神社(かもたかたじんじゃ)  (高井田元町1-5-3)

    鴨高田神社(かもたかたじんじゃ)の写真

     「延喜式」にのせられる古社のひとつで、『大阪府誌』には速須佐之男命(はやすさのおのみこと)、社の由緒書には大鴨積命(おおかもつみのみこと)・神功皇后(じんぐうこうごう)・応神天皇(おうじんてんのう)を加えた四神が祭神とされています。
     社は、元和(げんな)元年(1615年)の大坂夏の陣の兵火によって社殿がことごとく焼失し、数年をかけて再建されました。

    長栄寺  (高井田元町1-9-16)

    長栄寺の写真

     寺の本尊は、像高106cmの一木造りの木造十一面観音立像で、藤原時代の優れた仏像として、昭和46年に大阪府の文化財に指定されています。
     寺伝によると、推古天皇の時代に聖徳太子が創建され、太子自らが本尊を刻み、百済からの渡来僧入法師に供養させたことから、山号を百済山としたといわれています。
     寺は長らく荒廃し、江戸時代の安永(あんえい)年間(1772年~81年)に慈雲尊者(じうんそんじゃ)が再興しました。本堂の北側には慈雲尊者が長尾の滝で修行していた禅那台が後に移築され、昭和45年に大阪府の文化財指定を受けています。

    渡シ地蔵  (高井田元町1-9-16)

    渡シ地蔵の写真

     堂前の線香立ての石柱に「渡シ地蔵」と刻まれている地蔵石仏は、高さ95cm・幅30cmの舟形光背内に高さ70cmの地蔵菩薩立像をまつっています。
     この場所は、旧大和川の本流である長瀬川の西堤にあたり、大和川付替え以前は川幅が200m近くもあって、舟の渡し場になっていました。

    宝樹寺  (菱屋西6-1-28)

    宝樹寺の写真

     宝樹寺は日蓮宗妙顕寺の末寺で、棟札により元禄12年(1699年)大阪上本町に本堂を建立したことが知られます。その後、昭和2年に道路拡幅により現在地に移転し、近年、本堂は建て替えられました。
     墓地の一角に、紀海音(きのかいおん)と菅奇渕(すがのきえん)の墓碑があります。紀海音は江戸時代中期に活躍した浄瑠璃台本作者です。また菅奇渕は俳諧所大黒庵の師匠として名をはせました。

    帝国キネマ小阪撮影所跡  (菱屋西5-11)

    帝国キネマ小阪撮影所跡の写真

     大正3年(1914)山川吉太郎らによって天然色活動写真株式会社(天活)が創立され、同5年1月約1,900平方メートルの小阪撮影所が建てられました。同9年帝国キネマ演芸株式会社(帝キネ)が創立され、帝キネの撮影所として年間100本以上の映画を撮影していました。しかし手狭になり、昭和3年東洋のハリウッドと呼ばれた長瀬撮影所ができたため、除々に閉鎖されました。
     帝国キネマは、大ヒットした「かごの鳥」を製作した、当時の日本を代表する映画会社でした。

    谷岡記念館  (御厨栄町4-1-10)

    谷岡記念館の写真

     昭和10年に城東商業学校(現大阪商業大学)本館として建設されました。従来の学校建築とは違う意匠を取り入れたモダニズム建造物で、間口15間・奥行25間の規模で表玄関を大理石造りとし、南正面に一部5階となる塔屋を設けて時計台としています。内部は3階4階を吹き抜けとした1,500名収容の講堂を設けています。平成12年10月には国の登録文化財となりました。
     現在は近世大阪の商業に関する古文書・貨幣・両替屋で使用された道具類、河内の農具・木綿資料等を展示する商業史博物館として利用され、一般にも公開されています(10時00~16時30)。ただし、日曜・祝日・創立記念日(2/15)、夏休み等休校日は休館です。