C地区:荒本~吉田
「河内街道」を散策し、大和川付替工事の立役者「中甚兵衛」を偲ぶ
コース
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河内街道 (中野1~古箕輪1)

横枕から北東に中野・古箕輪に向かう道は「河内街道」と呼ばれています。枚方市伊加賀で国道1号線(京街道)から分かれ、現在の寝屋川、四条畷、大東、東大阪の市域を通ってJR八尾駅までの道です。古い村々をつないでいて、昔からの寺社が点在しています。河内街道と呼ばれるようになったのは明治時代からです。
横枕春日神社 (横枕南3-16)

横枕春日神社が創建された年代は不詳ですが、横枕村は江戸時代の中頃まで旧大和川支流(菱江川)に面し、再三の洪水に悩まされていたため、この神社をまつったといわれています。
日吉神社 (中野1-8-7)

日吉神社は、江戸時代以前には現在の高倉墓地のところにあったと伝えられ、もと大山咋命(おおやまくいのみこと)をまつっています。安産の御守札を出していて、村中で難産する人はなかったということです。
六郷神社 (本庄1-1-14)

明治39年の神社整理令により、春日神社(横枕)、日吉神社(中野)と本庄・箕輪・古箕輪の八幡神社の五社は、本庄の八幡神社に合祀されて六郷神社となりましたが、昭和20年代に各神社は旧地に復社されました。標石に「元八幡・六郷神社」とあります。覆屋(おおいや)内の一間社流造り(いっけんしゃながれづくり)、銅板葺の本殿は江戸中期の建物で、応神天皇をまつっています。
長者橋 (吉原1-12-7)

古箕輪八幡宮の東側にある長者橋の付近は、大和川付替え以前、新開池の南東隅にあたり、付替え後は鴻池新田の東端となったところです。長者とは鴻池家のことを指しています。ここに各村から井路が集まり、交差しているところが今も残っています。大阪天満から寝屋川を通り、徳庵で乗り換え六郷井路に入り、ここまで乗合船の定期便がありました。
吉原地蔵石仏 (吉原1-2-28)

吉原地蔵は西光寺門前の地蔵堂の中にあり、花こう岩の自然石を刻んだ鎌倉時代末期の石仏で、総高は2mあります。市内で最も大きい石仏で、大阪府の有形文化財に指定されています。
諏訪神社(本殿) (中新開1-11-20)

諏訪神社は、天文元年(1532年)の古文書「氏神三社興立記」によると、戦国の世にこの地を拓いた信濃国諏原の住人、諏訪連(すわのむらじ)の子孫が諏訪の神を勧請したもので、社名の由来になっています。本殿は、一間社流造り、柿葺(こけらぶき)で、建築様式から室町時代末期の特徴を残し、江戸時代初頭の修理を経ていますが、全体として室町時代の古材が、よく残っています。市域最古の神社建築として重要で、市の指定文化財です。
緩衝緑地公園 (吉原2)

大気の汚染、水質の汚濁などによる産業公害を防止または緩和し、地域の生活環境の改善を図ることを目的に、居住地域と工業地域との間に設置された緑地公園です。
「施設」
・スポーツゾーン(吉原公園野球場、中部緑地庭球場)
・芝生ゾーン
・花のゾーン
・スポーツコミュニティーゾーン
・親水ゾーン
・近隣広場ゾーン(多目的広場・エントランス広場・遊戯広場)
川中家と屋敷林 (今米1)

川中家は、大和川付替工事に功績のあった中甚兵衛ゆかりの家で、昭和59年9月、大阪府下で初めて「今米緑地保全地区」として、川中邸(約5000平方メートル)が指定されました。
急速な市街化から緑を守るため市街地の屋敷林が指定されたのは全国的に珍しいもので、ムクノキ・アラカシなど約80種270本の高木のほか、野鳥や小動物、昆虫などが数多く生息しています。
屋敷林の見学は、春期―3月上旬から6月上旬まで秋期―10月上旬から12月上旬まで です。それ以外は整備のため見学できません。
見学ご希望の方は、前もって連絡してください。(電話 0729-61-5050)
中甚兵衛顕彰碑 (今米1-4)

中甚兵衛を顕彰する石碑は吉田駅の北100m程の今米公園内にあり、大正4年に建てられたものです。
中甚兵衛は、河内平野を流れて度々水害をひきおこしていた大和川の流れを柏原からまっすぐ西に付替えるよう、50年近く幕府に訴え続け、付替え決定に尽力した人物です。