市政だより 平成21年8月1日号 6・7面(テキスト版)
あの悲劇を繰り返さない~戦争体験者が語る平和への想い
昭和20年3月13日―。米軍の戦略爆撃機B29による大阪空襲が行われ、その後も数回にわたる爆撃により1万人以上の人が亡くなりました。また、同年8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下され、幾多の尊い命が失われるとともに、現在もなお原爆症で多くの人が苦しんでいます。
戦争を体験した市内在住の方に、平和への想いをうかがいました。
広島・原爆被害の体験談 今も焼きつく戦争の惨禍
東大阪市原爆被害者の会会長 多久忠男さん(下六万寺町在住・80歳)
私が中学3年生のとき、学徒動員令(※)が制定され、広島の軍需工場に派遣されることになりました。原爆の被害を受けたのは、中学4年生の16歳のときです。
広島に原爆が投下された昭和20年8月6日―。投下直後のまちは、この世の様相ではありませんでした。裸の背中に無数のガラス片が突き刺さったまま歩いている人、目が飛び出ている人、垂れ下がった皮膚を抱えながら歩いている人、電車のつり革を握ったまま死んでいる人も見かけました。
川には死体が折り重なり、いかだのように浮かんで漂っていました。私も川に浮いている死体を引き上げたり、焼いたりしました。
あのころは食べ物も何もなく、戦争に勝つまでは耐乏生活が強いられ、芋や大豆が主食でした。私も芋のつるや大豆の搾りかすなどを食べていましたが、とても食べられるものではありませんでした。
被爆者の心には、今もなお、あの日の惨禍が生々しく焼きついています。
あれから64年の年月が流れましたが、あの地獄絵のような毎日、そして不安と苦しみの記憶は、1日として忘れることはありません。
幾多の人々の尊い命が失われた戦争は、二度と繰り返してはなりません。戦争のない日々がいつまでも続くように祈るばかりです。
※学徒動員令…日中戦争後、国内の労働力不足を補うために学生を工場などで強制的に労働させたこと。
戦争の悲惨さを伝えたい 原爆被害の体験を語ります
東大阪市原爆被害者の会は、市内に住む広島・長崎で原爆の被害を体験した人が集まり、昭和38年に設立しました。
戦争を知らない世代をはじめ、多くの人に戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさ、平和の尊さを伝えていきたいと願い、小学校や図書館などで、体験者の生の声を聞いていただく場を設けています。
設立当時は400人以上いた会員も、今では218人に減ってしまいました。
会員のほとんどが高齢者ということもあり、何年かたつといずれは原爆被害者が1人もいないという時代が訪れます。そのためにも今、後世に平和の尊さと人の命の尊さを伝えねばならないと思い、日々活動しています。
大阪大空襲の体験談 大阪を襲った空襲はまさに生き地獄でした
松田よしのさん(西石切町在住・86歳)
昭和20年3月13日の夜、大阪上空に米軍の戦略爆撃機B29が数百機旋回し、爆弾や焼夷弾(※)を雨あられのように投下しました。
石切から見ると、大阪の町は一面火の海へと変わり果て、真っ赤になった空に火の玉が爆風にあおられて舞い上がり、焼けた板が紙くずのように飛び回っていました。
破裂する爆弾の音、花火のように空中分解して落ちる油脂焼夷弾、それはまるで地響きする落雷のようでした。
人々は逃げ場を失い、力尽きて焼死する人、川の水は熱湯になっているにもかかわらず飛び込んで熱死する人…まさに生き地獄でした。
そのときの私は22歳。乳飲み子を抱え、真っ暗な防空壕の中でお経を唱えながら夜を明かしたことは、今も忘れられません。
食料は尽き、すべてのものが姿を消してしまいました。生きていることがやっとで、少しの配給によって命をつないでいました。
あれから64年―。多くの尊い命が失われ、焼け野原となった大阪は、想像もできないほど豊かになりました。
平和な日々がいつまでも続くことを願っています。
※焼夷弾…敵の建造物や陣地を焼くための砲弾や爆弾。油脂焼夷弾は主成分がゼリー状のガソリンになっている。
平和の輪を広げよう
1945年(昭和20年)8月、広島と長崎に原子爆弾が投下されてから、今年で64年目を迎えます。
第二次世界大戦では、多くの尊い命が失われ、核兵器の恐ろしさと戦争の悲惨さを痛感しました。
再びあの悲劇を繰り返してはならないと、戦争の放棄と平和への願いを込めた「日本国憲法」を制定し、恒久平和をめざしています。
市では、1985年(昭和60年)に制定した非核「平和都市宣言」の趣旨に基づき、1993年(平成5年)に平和なまちづくりのシンボルとして広島と長崎の灯火からの分火を受け、“平和の灯”を市民会館前に設置するなど、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を訴えてきました。
戦争の悲惨さや平和について考えていただくため、今年も8月4日(火曜日)から9日(日曜日)まで府立中央図書館で「ピースウィーク」を開催します。
期間中は平和資料展のほか、8日(土曜日)は「世界がもし100人の村だったら」の著者・池田香代子さんによる講演と口笛奏者・儀間太久実さん、ギタリスト・竹下壽晃さんによる演奏があります。7日(金曜日)と9日(日曜日)には、原爆被害者の会による原爆被害の体験を語っていただきます。
ぜひ参加し、平和への大きな輪を広げていきましょう。
原爆死没者と戦没者へ平和祈念の黙とうを
広島と長崎では、原爆投下の日に原爆死没者のめい福と世界の恒久平和を願って、被爆64年目の慰霊と平和祈念の式典が行われます。
また、8月15日(土曜日)の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」には、東京都にある日本武道館で、全国戦没者追悼式が開かれます。
亡くなられた方のめい福と、再びこのような惨事が起こらないことを祈り、次の日時に1分間の黙とうを捧げましょう。
とき
8月6日(木曜日) 午前8時15分
9日(日曜日) 午前11時2分
15日(土曜日) 正午
募集します 人権啓発詩・読書感想文
「人権の尊さやお互いの人権を守ること」「差別のない明るい社会を築くことの大切さ」「平和の尊さを訴えること」などをテーマに、詩と読書感想文を募集します。
応募資格
市内在住、在学の小・中学(部)生
規格
詩=形式、長さとも自由
読書感想文=400字詰め原稿用紙に小学(部)生は3枚以内、中学(部)生は5枚以内
※いずれも未発表の創作作品で1人1編に限る。
応募方法
作品名、氏名、学校名、学年、氏名公表の可否(読書感想文は図書・著者・発行所名も)を書いて、9月25日(金曜日)(必着)までに郵送
※応募作品は返却しません。審査のうえ入選者にのみ連絡し、表彰します。
応募・問合せ先
〒577・8521市役所人権啓発課06(4309)3156、ファクス 06(4309)3823
総合計画審議会を開催 後期基本計画(案)を諮問
このほど、平成23年から32年までの市のまちづくりの方針となる「東大阪市第2次総合計画後期基本計画(案)」を審議するため、学識経験者や団体の代表、公募市民など37人の委員で構成する「東大阪市総合計画審議会」の第1回の会議が市役所で行われました。
この日、審議会委員には野田市長から委嘱状が交付され、平成20年度から策定作業を進めてきた計画(案)の諮問が行われました。
審議会は、計画(案)全体を審議する会議、施策体系ごとにまとめた部門別計画を審議する部門別部会、市民とともに取り組む地域別計画を審議する地域別部会の3つの会議で構成し、合計21回にわたって審議を行い、来年2月には市長への答申が行われる予定です。
なお、審議会は原則公開され、希望すればだれでも傍聴することができます。審議会の資料や会議録は市政情報相談課、総合計画策定室でご覧になれるほか、市ホームページにも掲載しています。
また、市では、さらに多くの人の意見を取り入れるため、市内大学生と市長との意見交換会やパブリックコメントも行います。
傍聴しませんか 部門別部会を開催
とき・ところ
8月3日(月曜日)午後3時から=市役所22階会議室
6日(木曜日)午後3時から=市役所18階会議室
10日(月曜日)午前10時から=市役所22階会議室
定員
10人(当日先着順)
※受付開始時(会議開催の15分前)に定員を超えた場合は抽選。
問合せ先
総合計画策定室 06(4309)3106、ファクス06(4309)3826
毎月8日は「自転車マナーデー」 布施駅前で啓発
7月8日、市と布施・河内・枚岡の3警察署、自治協議会などとが連携し、市民に自転車の安全な走行とマナー向上を呼びかける「第1回自転車マナーデー」を近鉄布施駅周辺で開催しました。
この啓発運動は、市民などで構成される市民プランニング委員が、今年2月に野田市長へ提出した提言書の中から多くの市民が賛同した「自転車マナーの向上」を取り上げたもので、各警察署や地域のボランティア団体などに協力を呼びかけ、今年度から実施していくものです。
自転車の車輪の形にちなんで、毎月8日を「自転車マナーデー」とし、歩道上での走行や信号無視、携帯電話で話しながらの運転など、危険な乗り方や放置自転車をなくすため、街頭啓発を毎月行っていきます。
この日は、交通安全運動推進本部長である野田市長をはじめ、自治協議会や警察関係者、地元ボランティア団体など約100人が参加。参加者は、“交通マナーを高めよう”と書かれた緑色のたすきを肩にかけ、「毎月8日は自転車マナーデーです。自転車マナーを守りましょう」と自転車で走行中の市民や歩行者らに声をかけながら、啓発用のティッシュなどを配布しました。
今後、啓発運動は河内・枚岡警察署管内でも行われ、広く市民に周知したり、小・中学校を通じて児童、生徒らに啓発したりしていきます。
市民の皆さんの理解と協力をお願いします。
国交省審議官が高井田地域を視察 住工共生の現状を確認
このほど、国土交通省から石井喜三郎大臣官房審議官ら4人が本市を訪れ、高井田地域を視察するとともに、高井田まちづくり協議会の役員や企業経営者と懇談しました。
これは、6月に市が本市の産業集積の維持・継承などを求め提出した「将来を見据えた産業の活性化をめざして」と題した提言を受けて視察に訪れたものです。
工場と住宅が混在している高井田地域を徒歩で視察した石井審議官は、「静かな住環境を求める住民と、設備を遊ばせず、フル操業したい工場経営者との思いが違うことがよくわかった」と感想を語ると、地域で住工共生をめざして活動している高井田まちづくり協議会の役員からは、「昔は工場と住民はうまくやっていけた。しかし最近は、騒音などに対する住民からの要求が厳しくなり、工場側から見れば思うような操業が難しい状況にある」などといった地域の実情を話しました。
野田市長が「スピード感をもってこの問題にあたっていかなければ、都市の空洞化にもつながりかねない」と話すと、石井審議官は「状況は理解できた。まずは身近な制度を活用し、積極的に対応いただきたい。国としても相談に応じ、また知恵をだして支援も行っていきたい」と応えていました。
お買い物は東大阪市内で