市政だより 平成29年2月1日号 別紙1面(テキスト版)
市制施行50周年記念特集
これまでの半世紀を回顧
私たちを育てた郷土
さらなる飛躍を願う
昭和42年(1967年)2月1日、布施市・河内市・枚岡市の3市が合併して誕生した東大阪市は、今年で50周年を迎えました。
これを記念して、京都大学iPS細胞研究所所長で本市名誉市民の山中伸弥さんやラグビー元日本代表選手の元木由記雄さんら本市にゆかりのある方たちに、東大阪市で過ごした思い出やこれからの東大阪市に寄せる期待などについて、お聞きしました。
今も魂に息づくモノづくりのこころ
京都大学iPS細胞研究所所長・本市名誉市民(平成25年7月贈呈)
山中伸弥さん(54歳)
幼少期を過ごした東大阪市での思い出や東大阪市への印象
私は小学3年まで東大阪市にいました。石切神社が家から近く、よく遊んでいたのを覚えています。当時は、東大阪市が誕生して間もないころだったと思いますが、まちなみが今のように整備されておらず、身近に自然がたくさんありましたね。東大阪市は私のかけがえのないふるさとです。
世界に誇る高い技術力をもつ町工場は東大阪市の強みです。
ラグビーも忘れてはいけません。大学在学中の3年間、私自身もラグビーをしていましたので、親しみがあります。当時、帰省すると自転車で花園ラグビー場まで行き、最前列で観戦していたことは懐かしい思い出です。
モノづくりから学んだこと 町工場を営んでいた実家を通して
東大阪市に住んでいたころは、父が営む町工場と同じ敷地に住居がありました。生まれたころから職人さんたちの作業を間近で見ていました。日々試行錯誤を重ね、努力する“トライ&エラー”の精神は、私の魂に息づいていると思います。臨床医を志していたころは、整形外科を選択し、モノづくりに没頭する父の姿を連想していました。
東大阪のモノづくりと山中さんの研究との連携
東大阪市に存在するいろいろな技術と私たち研究者が交流できるようになってきたと感じます。そんな中から、新しいブレークスルー、今まで考えもしなかったことができるようになる可能性があるのではないかと思います。そんな未来を楽しみにしています。
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