「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」とは

 勝つ時には必ず「勝因」があり、負ける時には必ず「敗因」があると

いうことは、いろいろなところで語られることである。私は「勝因」を

生み出す要因として「一生懸命」「ていねい」「ひたむき」というもの

があり、「敗因」となる要因として「適当」「だいたい」「いい加減」

というものがあると考える。つまり「だいたいできた」は「勝因」では

なく、「だいたいにしかできなかった」というまぎれもない「敗因」で

ある。

 また、「勝因」を生み出すものの中には時間のかかるもの、継続しな

ければ掴みえないものと、誰にでも今すぐできることがある。ボールを

どれだけ投げることができる、ダンベルやバーベルをどれだけ持ち上げ

ることができる、100mを何秒で走ることができる等、歯をくいしば

ることを継続し積み上げて成し得ることはたくさんあるが、誰にでも今

すぐできることとして「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」がある。

 しかしながら、今すぐ誰にでもできるとは示したものの、どのような

状況であっても、自分自身が劣勢に立っているときであっても、また、

様々な要因がひしめく状況の中であっても、この「返事!あいさつ!

声!ダッシュ!!」を実行することは容易なことではない。そこには

個々の「人格」が起因し、その「人格」が「返事!あいさつ!声!ダッ

シュ!!」を実行することができるか否かの大きな要因である。「返

事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は誰にでも今すぐできる「勝因」

となりうる要素である。ある一定の練習量をこなし、時間と場所が与

えられ、ある一定の指導を受けていれば、おそらくベスト16やベス

ト8になることは可能かもしれない。しかしながらそれ以上を目ざす

ためには、加えて個々の選手の「人格形成」が必要となる。野球では

よく「人格」がプレーすると言われるのはまさしくその通りである。

 

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」と言う言葉を使うと、よく

「ダッシュって何ですか?」と問いかけられることがある。「ダッ

シュ」は「全力」「一生懸命」と考えてもらいたい。「返事!あいさ

つ!声!ダッシュ!!」は私が野球の通して子どもたちに指導してき

た考え方の根本であり、私自身がモットーとして大切にしていること

でもある。また、指導者として子どもたちに伝えるべく最も必要不可

欠なものとして持ち続けている思いの1つである。「人格形成」とい

う言葉があるが、「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は「人格形

成」に欠かせない要素なのである。

 

 また、いろいろいなところで「あいさつ運動」が行われ、私が「返

事!あいさつ!声!ダッシュ!!」という言葉を用いると、「あいさ

つは大切ですね」と「あいさつ運動」について話してくださる方がた

くさんいる。

 しかしながら私の言う「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は

「あいさつ運動」ではなく「あいさつ運動」とはセクションの違うも

のとして「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」を伝えたい。

 

 この「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」をモットーに野球を指

導する過程で、野球人として、物事に取組む姿勢における最優先とす

る大切な、しかも根本的な要因として用い、練習シャツの背中に文字

をいれたり、リストバンドに文字を入れたりしながら強調して指導し

てきた。そのために、私のまわりでも、「返事!あいさつ!声!ダッ

シュ!!」は野球で使う言葉であるとか、部活動(特に運動部)で使

う言葉であるようなイメージでとらえられたりすることが多々ある。

 しかし、それは「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」の意味する

ところを感覚的に表面的な言葉でとらえられているだけであり実際は

そうではない。

 

 自分と出会った多くの生徒たちが、さまざまな係わりの中で、この

「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」の意味を心にしっかりと受け

とめて、自分自身のものとして取り入れ、「返事!あいさつ!声!ダッ

シュ!!」を大切に扱い、誇りを持ち胸を張ってがんばっていてくれ

ていると信じている。いろいろな事柄を野球を例にとって伝えること

はあるけれど、それは当然、野球部の生徒に限るものではない。

 

 野球にはゲームの「流れ」と呼ばれるものがある。形があるわけでは

ないが確かに間違いなく存在するものである。この「流れ」と同じセク

ションのものに「空気」「雰囲気」がある。勝つときには必ず「勝因」

があり、負けるときには必ず「敗因」がある。指導者は選手たちが「勝

因」を生み出すことのできる指導をするべきである。逆に言えば「敗因」

なるものを、言い訳を加えいつまでもひきずることはするべきではな

い。そして、「人格形成」という観点から、「勝因」の意味を伝えなけ

ればならない。

 

 例えば、長距離を走るという練習があったとして、監督やコーチが見

ている場面では一生懸命走り、監督やコーチが見ていない場面では走る

のを怠り、時には歩くことすらある選手と、監督やコーチが見ている、

見ていないには関係なく、自分との闘いの中で歯をくいしばり、ひたむ

きに一生懸命に全力を尽くす選手がいたとする。

 指導者は選手に「どちらが上手になると思うか」と問いかけ、もしも

「監督やコーチが見ていなくても一生懸命に全力を尽くす選手」と選手

たちが迷わず答えるならば、指導者はその選手に「自分の素直な考えを

もとに、これからも上手くなる選手になる方を選択しなさい」と指導す

ればよい。選手は必ず自分自身で一生懸命がんばる方を選択する。

 練習中、試合中、攻守交替等においてグランドの中で全力疾走を心が

け実行する選手と、適当に移動する選手がいたとしたら、指導者は「も

し奇跡を起こすことがあるとすれば、どちらの選手が奇跡を起こすこと

ができるだろうか」と問いかけ、もしも選手たちが「全力疾走する選

手」と答えるなら、指導者は「奇跡を起こせる可能性を限りなく持つこ

とのできる選手になりなさい」と指導すれば、選手は必ず自分自身で全

力疾走をする方を選択する。

 練習中や試合中に、額に汗をかきながら大きな声をだしてボールを呼

んだり、仲間をはげましたりしている選手と、声をださずプレーしてい

る選手がいたとしたら、指導者は「どちらの選手がチームに勝因をもた

らすか」と問いかけ、もしも「大きな声をだせる選手」と選手たちが答

えるなら、指導者は「チームにとって勝因をもたらすことのできる選手

を目ざしなさい」と指導すれば選手は必ず自分自身で大きな声をだして

プレーする方を選択する。このような例は限りなくたくさんある。

 つまり、選手自身が自ら考え自己のモチベーションを高め、自らを磨

き輝かせることができる指導が大切であり、これらのことは指導者が選

手に強制するものではない。形だけを求めて強制され、生まれるやらさ

れ感覚は「人格形成」には至らない。強制ではなく自発的であることが

大切である。

 

 こんな例もある。野球はがんばるけど勉強はがんばらなくてもいい

と勝手に考える選手や、野球はがんばるけど生活態度には問題がある選

手と、そうではなく野球も勉強もがんばり生活態度も真面目な選手がい

たとしたら、まちがいなく野球も勉強もがんばり生活態度も真面目な選

手の方が軌跡を起こし、自らを輝かせることのできる条件を整えてい

る。それは「人格」が起因しているからである。

 さきほども述べたように勝つときには必ず「勝因」があり、負けると

きには必ず「敗因」がある。監督やコーチが見ていない場面では全力で

がんばらない、全力疾走を心がけない、声を出すことをためらう、野球

以外のことはがんばらないことが仮に「敗因」となりうるものであるな

らば、今すぐそれは改め「敗因」を取り除くことが大切である。

 

 勝ち負けがすべてではないが、勝ちたいと本気で思うならば勝てるよ

うに本気で努力しなければならない。勝つときには必ず「勝因」があり、

負けるときには必ず「敗因」があるが、「敗因」となるうるものは今す

ぐに改めることができるはずである。

 ただし、今すぐ改めるとは言葉では簡単ではあるけれど、実際にはそ

れほど簡単なものではない。なぜなら、そこには「人格形成」という作

業が必要だからである。「敗因」とあきらかにわかるものを、あれやこ

れやと言い訳を並べて、かたくなに「敗因」を持続させる必要はない。

それは単なる「言い訳」を並べているだけであって、本当は何をすべき

か、自分がどうあるべきかき個々が一番よくわかっている。「敗因」は

今すぐ改めることができるが「勝因」となるものには時間を要するので

あるから、少しでも早く「敗因」から脱し、「勝因」への道を進まなけ

ればならない。

 「勝因」にはどのようなものがあるであろうか。冒頭にも述べたが、

体力的な事柄で何秒で100メートルを走ることができる、ボールを何

メートル投げることができる、5kgダンベルを何回持ち上げることが

できる、また、テストで点数を何点取ることができる等、繰り返すが

「勝因」となるべき要素を生み出すには長い時間を必要とすることがた

くさんある。勉強やトレーニングを継続させることはとても強い忍耐力

も必要であるし、目標値に対しての個人差もある。しかしながらすべて

の者が今すぐなしえることのできる「勝因」は「返事!あいさつ!声!

ダッシュ!!」の実行である。

 

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は大切な人格形成の要因であ

る。運動が少しくらい苦手でも、勉強が少しくらい苦手でも、今すぐ誰

もが実行できること、されどそうそう簡単ではないことが「返事!あい

さつ!声!ダッシュ!!」である。

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」を実行するか否か、どんな状

況であってもそれが実行できるかできないかは「人格」に起因すると考

えている。自分が好調であるときに、自分の気分が向いているときに

「がんばる」ことは容易な場合が多い。しかしながら自分が不調である

とき、気分が向かない時でも歯をくいしばって「がんばる」ことは簡単

で容易なことではない。やる気があるかないかではなく、やれたのかや

れなかったのかが重要である。やる気があっても実行できないのは、や

る気がなかったのとさほど結果はかわらない。

 1つのことがらを完成させるためには地道な努力がいる。夢を叶える

ためにはゆらぐことのない強靭な精神力が必要である。地道な努力も強

靭な精神力も、「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」を実行するには

欠かせない要素である。

 

 野球ではよく「奇跡の大逆転」ということが起こる。9回うら2アウ

トランナー無しから本来なら最後の打者となりうる打者が例えばサード

ゴロを打ったとする。そんな場面で、たまたま打球を処理した三塁手が

暴投しランナーが出て、そこから大逆転という場面は往々にしてありう

ることであり、記憶に残るよく目にする場面もある。

 人はこの大逆転を「奇跡」と呼ぶことが多い。「奇跡」を辞書でひい

てみると「常識では理解できないような出来事」といった意味が載せら

れている。

 しかしこのシーンは本当に「奇跡」なのであろうか。もしかしたら打

球を処理した三塁手は処理したボールを握りそこねているかもしれな

い。その時に打者走者がサードゴロにもかかわらず夢を信じて全力疾走

していたとすれば、三塁手はかなりあわてて握りそこねたまま一塁に送

球するあまり、それが暴投になってそれが大逆転のきっかけになったか

も知れない。もしもサードゴロを打った打者が、あきらめて全力疾走を

怠ったならボールを握りそこねていた三塁手にも握りなおす余裕もでき

ただろうし、あせって送球する必要もなくなり、大逆転は生まれないと

いう結果が残る。

 人はこの大逆転を「奇跡」と呼ぶかも知れないが、これは打者が全力

疾走をした結果であり「奇跡」ではない。打球を処理した三塁手が、も

しかボールを握りそこねていたらと想定したが要因はそれだけではな

い。それぞれの場面、それぞれの状況はその時の一瞬につくりだされて

いるものではなく、それまでのたくさんの要因のもと、その場面がいま

まさに創りだされているからである。いま現在、9回のうら2アウトラ

ンナー無しで、たまたまその選手の打席であったかも知れないが、その

場面ができるまでの数え切れない多くのシチュエーションが、いまを創

り出しているからである。

 「奇跡」は偶然起こるものではない。「奇跡」はなるべくしてなるも

の、起こるべくして起こるもの、また起こすものなのである。「夢」は

「夢」で終わって叶わないものではなく、「夢」は叶えるものである。

また叶えるためにあるのではないだろうか。9回裏2アウトで打ち損じ

たこの場面で、全力疾走ができるかできないかは、この打者の人格に起

因することである。この場面の全力疾走は、このときこの一瞬だけのこ

とではなく、日頃のひたむきな練習、真面目な生活態度、心を一つにす

るチームワークなど、たくさんのいろいろな要因によって生み出される

ものであり、そこに場面に発生している、その全力疾走を生み出した多

くの要因はとても大切なものであるはずだ。

 

 「空気」や「雰囲気」は、「流れ」と同じセクションであるとさきほ

ど述べた。静謐な環境には静謐な「空気」が存在し、緊迫した場面や場

所には緊迫した「空気」が存在し、あたたかいやわらかい場面や場所に

はほのぼのとしたあたたかいやわらかい「空気」が存在する。またこの

ような場面や場所には、その場面や場所に適した「空気」が存在するべ

く要因がある。目的の違った「空気」が存在したならば、それはその目

的を十分に達することはできないからである。その「空気」を生みだす

のは、その場所にいる人たちである。それが野球ならば、グランドに足

を踏み入れたときにそのグランドの持つ「空気」は、その場所で日々鍛

錬を積み重ねているチームの監督・コーチ・選手・その他チームに関わ

る多くの人たちが生み出しているのである。グランドを訪れ、選手たち

が来客に対して交わすあいさつや、接するふるまいなどは「空気」の一

端を感じる場面である。あいさつだけを取っても、やらされているあい

さつではなく、おもてなしや感謝を感じるあいさつがある。

 これは何も野球だけのことではなく、教室が整理整頓されている状態

や、玄関の靴箱が整理されている状態や、校門付近の様子や、トイレや

校舎内外の清掃状態等、数えきれば限りない。大切なことは、その場所

にいる人たちの意志や意識がその場所の「空気」をつくりだしていると

いうことである。

  野球の試合中、指導者は攻守交替の場面では「ポジションまで全力疾

走しなさい」「ベンチまで全力疾走しなさい」と指導する。指示された

選手たちも「全力疾走しなければならない」と思っている。しかし「流

れ」をつくりだすためには、ロボットのように指示されたことをこなす

だけでは不十分であるし、なかなかそれ以上のものは生まれてこない。

そこには「考え」「意志」が存在し、何のために全力疾走をするのか、

それを実行してどうなるのかという意志や意識がその全力疾走の中にな

くてはならない。

 選手たちは、「野球には流れがあり、目に見えない空気がある。自分

ができること、仮にそれが全力疾走であるならば、全力疾走で流れを自

分たちでつくり、流れを自分たちの方に向けるんだという意志をもちプ

レーするべきである」ということが理解できているかどうかということ

が重要である。この全力疾走は必ず「勝因」につながるものである。1

つのプレー、たった1球で野球の「流れ」は変わる。そのことは誰もが

知っている事実である。

 野球の常識で「チャンスの後にピンチあり」「ピンチの後にチャンス

あり」という言葉がある。チャンスを逃した直後の攻守交替では選手た

ちは往々にして守備につくのは遅い。ピンチをしのいだ選手たちは全力

で駆けてベンチに戻ってくる。また、大きく点数が開けば開くほど、劣

勢のチームの選手たちのダッシュのスピードは弱まってくる。

 優勢にたっているとき、チャンスを生かせたとき、ピンチをしのいだ

とき、うまくいっているとき等に全力疾走することは簡単であるが、劣

性のとき、チャンスを逃したとき、うまくいかなかったときにも全力疾

走ができることはそうそう簡単ではなく、そこには強い意志としっかり

とした意識が必要となり、その意識が全力疾走という行動を生み出す。

「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」には意志や意識を兼ね備えた人

格が必要であり、「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」とともに成長

し、人格形成の要因としてなくてはならないものである。

 

 「意識」は「行動」を変える。「行動」は「習慣」を変える。「習

慣」は「結果」を変える要因となる。「意志」「意識」を持って全力疾

走を心がける選手や集団は、常に全力疾走ができるようになり、常に全

力疾走ができている選手・集団となる。「意志」「意識」を持って声を

出すようになると、常に声を出すことができるようになり、常に声を出

し練習している選手・集団となる。「意識」の改革が「行動」を変え、

「行動」の改革が「習慣」を変え、「習慣」が変わることによって「結

果」が変わることは野球だけのものではない。「返事!あいさつ!声!

ダッシュ!!」は結果を変えるものとなる。

 がんばろうと思うことはすべての者が簡単にできるが、具体的にがん

ばることの行動に起こすことや、持続させることはすべての者が簡単に

できることではない。たまたまうまくいくときだけがんばることができ

たり、持続することができたりするのではなく、苦しい時でも辛い時で

も歯をくいしばって黙々と持続させるこのできる強い「意志」を育てる

「人格」を形成することは言うまでもなく大切である。

 「思う」ことと「考える」ことは違う。「勝因」となる要因を生みだ

すことができるように考えなければならない。考えたらそれを実行する

ための「意志」を持って「意識」し、「行動」することが「勝因」を生

み出すことの始まりである。単に思っているだけで「行動」が伴わない

のは、思わないのと「結果」が類似する。「考える」ということは、

思ったことをどうすれば実行できるかとプロセスを引き出すことである。

 

 「言い訳」は進歩の最大の敵である。「あのときはこう思っていた」

「これこれがあってできなかった」等の言い訳をするようでは「返

事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は実行できない。「返事!あいさ

つ!声!ダッシュ!!」を実行するには自分自身に対して言い訳を許さ

ない「人格」が不可欠な要素である。

 

 また、「丁寧さ」と「ひたむきさ」に勝るものはないと伝えてきた。

これからもおそらくそれは変わらない。好調なときは勿論のこととし

て、スランプや迷いに陥ったときも、ただ1つ信じることのできること

は「丁寧」にコツコツと実行すること、「ひたむき」に歯をくいしばっ

て前に進むこと、常に前進あるのみであるということである。

 長いトンネルの中でいくらもがいていても出口は見えない。ああでも

ない、こうでもないと言い訳をして、何もしないでいては何も状況は変

わらない。理屈を並べて行動しなければいつまでたっても「結果」は変

わらない。長い出口の見えないトンネルの中であっても、ひたむきに歯

をくいしばって自分の信じる方向に進んで行けば、たとえそれが遠回り

であったとしても必ずその進む方向には出口がある。出口の光を見つけ

ることができれば、進むべき方向にも自信がつき、さらなる努力を重ね

ることもできる。

 その時、単に自分の思いつきで進むだけでなく、風の向き、周りの状

況等を的確に考え判断する能力が備わっていたなら、無造作に進むより

も正しく早く出口を見つけることができる。だから知識を持たなくては

ならない。

 これは勉強やスポーツにおいてもすべてにおいて同じであり、成績が

あがらなかったらひたむきに勉強する。丁寧にコツコツと続ければ、必

ず結果がついてくる。しかも、ただひたすらがむしゃらにコツコツ実行

するだけではなく、指示を正しくし理解し、その場面の分析と的確な判

断をすれば、そのコツコツはより一層効果的な結果につながるはずであ

る。

 言い訳をする前に努力を続けてみることが勝利への秘訣である。つま

り「丁寧さ」と「ひたむきさ」には、コツコツと積み上げた努力の結果、

学習し得たものとも重ね合わせさらなる結果を導く要因となるものがあ

る。

 

 小さい頃、アイザックニュートンという人が木からリンゴが落ちるの

を見て万有引力を発見したと聞いた。思うに、アイザックニュートンと

いう人はただ漠然とその瞬間を見てすごした訳ではないはずである。そ

れまでに自分が学習したこと、経験したこと、研究したこと等の積み重

ねがあって、そのリンゴの落ちる場面に遭遇したからこそ、万有引力の

発見に気づいたのではないか。つまりアイザックニュートンという人が

木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したことは何も偶然では

なく当然の結果であったにちがいない。

 

 「丁寧さ」と「ひたむきさ」の意味が理解できない者は言い訳をした

り、努力を怠ったりすることが多い。また素直さに欠けることもある。

自分の感情をコントロールできず「返事!あいさつ!声!ダッ

シュ!!」ができなかったりする。「感情のコントロール」ができるこ

とも、まぎれもなく「勝因」となる「要因」である。「感情のコントロ

ール」も「人格」とつながるところが大きい。

 野球の練習で、ノックを受けている場面で、たまたまうまくプレーが

できずノックを打っているコーチから指示を仰ぐことになった場面を想

定したみたとき、ある選手は「今の打球はイレギュラーして・・・」

「そうしようと思っていたのですが・・・」とまず言い訳をする、また

ある選手は「黙って聞き、言い訳はしないが指示を受けたあともそのま

まプレーを続ける」、またある選手は指示を帽子をとって目を輝かせ

「はい!はい!」と聞き、指示の後はまた「さぁ!来い!」と大きな声

を出してボールを呼びプレーを続ける。

 指導の場面では、このような例をもとに、もしも自分が上手になりた

いと思った時、どんな選手になりたいかと、またどのタイプの選手が一

番上手くなると思うかと問いかけながらチームづくりを目指してきた。

選手は自分が上手くなるために、上手くなるのではないかと思うことを

自分自身で選択し実行する。

 

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」を実行するには、強靭な体力

もパワーも必要ではない。「素直」に「ひたむき」に取り組むことがで

きれば全ての者が今すぐに実行できる。

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」が実行できない者は、自分の

「意識」を改革することにより、誰もがそれを行動に移せることがで

き、「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」ができるようになる。「意

識」が変われば「行動」がかわる。「行動」が変わることによって「習

慣」が変わる。「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」が自分の「習慣」

として身につくことで必ず「結果」が変わる。「結果」が生まれてくる

のである。野球ならばチーム内において「返事!あいさつ!声!ダッ

シュ!!」が習慣となっていれば、練習の様子、試合の様子、日頃の生

活の様子、物事の考えかたなど、それができない「敗因」の多いチーム

と比べれば様々な結果が違ってくるであろう。

 

「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」が習慣となっていれば、この

チームの中に勝因となる「空気」が生まれ存在する。集団の中には確か

に何かの「空気」が存在し、その「空気」は人を育てる要因を持つ。学

校の現場では清掃活動を徹底したり、花壇を綺麗にしたり、あいさつ運

動をしたりすることがよくある。その意味や意志を統一することによっ

てその集団、その場所には単なる清掃活動や単なる花壇の手入れや単な

るあいさつ運動だけではなく、集団が「意志」を持った1つの「空気」

を生み出す結果となる。その「空気」が人を育て、人格形成にとって大

切な要因をつくりだすこととなる。

 

 勝つときには必ず「勝因」があり、負けるときには必ず「敗因」があ

る。「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」の実行はまぎれもなく「勝

因」である。

 

「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」とコミュニケーションの必要性

 前述したように「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」が実行できる

ということは、物の考え方や取組みに対するプロセス、感情のコント

ロールやモチベーションのコントロールが、ある一定のレベルでできて

いるといった状態である。「意識」「行動」が一定のレベルに達する

と、野球においては(野球だけではないはずである)、個人や個人が所

属する集団がより高いレベルの目標を設定し、より高いレベルの「行動

(プレー)」ができるようになっている。 1つの目標をクリアするこ

とができたなら、また次の目標が見え、次の目標を設定することができ

る。「意識」「意志」を持って「行動」ができるようになっていたな

ら、そこには「考え」「考えのプロセス」が生まれている。

 

 例をあげてみると、塁に出た走者に「スタートを切る(盗塁を企て

る)」という課題を与えたとする。しかもその課題に5球以内というよ

うな条件をつけると、最初のうちは大部分の選手がとりあえずスタート

を切る。とりあえずスタートを切っているうちは成功の確率も少ない。

しかしながら何回が繰り返し、そこに「考え」が存在すると成功する確

率が高くなってくる。「投手はいま、直球、直球と2球直球を続けた。

だから3球目は変化球である確率が高い。

 変化球の確率が高いと判断したのでスタートを切った。」とか、「リ

ードを大きくとると投手が自分に対して気を使う比重が高くなる。リー

ドを大きくとると高い確率で牽制球を投げてくる。そこで自分はあえて

リードを大きく取り、投手に牽制球を投げさせた。さらに牽制球を投げ

てこられても同じようにリードを取り、続けて2球の牽制球を投げさせ

た後、半歩リードを小さくした。だから投手は小さくなったリードを見

て牽制球を3球続けることはないと判断したのでスタートを切った。」

など、選手たちの「意識」「意志」「考え」に理由・根拠があり、その

理由・根拠のもとに「スタートを切る」という「行動」につながってく

る。

 成功の確率が低い最初の頃は、「なぜ、いまスタートを切ったか」と

いう「なぜ」に対する答えを持つ選手は少ないが、「考え」というプロ

セスが発生すると、「なぜ」という問いに対する答えを持てる選手が増

える。「考え」を持ち、「なぜ」に対する答えを持つことにより盗塁を

成功させる確率が明らかに高くなる。

 

 このことは、なにも「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」ができる

か否かとは関連のない事例ともとれる。しかしながら実際に選手たちに

指導している場面では、このような「考え」を高い「意識」で持てるよ

うになるために、意識レベルの高い多くの要素が選手に備わっていなけ

ればならないことを感じる。 また、個々の選手がこの「考え」を持つ

と、「意識」の高い集団においては、集団として他の選手にもこの「考

え」、「意識」が伝わるのである。この伝わるツールが「返事!あいさ

つ!声!ダッシュ!!」の持つ、目には見えない「意識」のツールであ

る。

 不思議なもので監督・コーチと選手のあいだで交わされる、「なぜ」

という問いに対しての答えを述べるというコミュニケーションが確立さ

れると、「意識」の高い集団においては、「なぜ」という問いに対する

答えが実際の言葉で表されなくとも、チーム全体に「空気」を通してコ

ミュニケーションとして伝達されるのである。

 不思議とは言ったが、「奇跡」と同様に「意識」が高いからこそ当然

である。

 

 コミュニケーションはチームのレベルを非常に高める要素がある。練

習をしているとたくさんの課題が見えてくる。例えば守備練習でランナ

ー1塁の場面を想定して、ショートゴロからセカンド、ファーストと転

送される併殺プレーの練習中に、セカンドベースよりのゴロを処理した

ショート(遊撃手)が、ホースプレーにはいったセカンド(二塁手)に

対してボールを上から投げて送球するという場面で、セカンド(二塁

手)が落球したというミスが起こったとする。このような場合、ミスを

ただ単に1つのミスとして通りすぎるか、そこでショート(遊撃手)と

セカンド(二塁手)との間で、今の距離は上から投げるべき距離であっ

たのか、下からトスするべき距離であったのかというコミュニケーショ

ンを行うかで、1つの練習の効果が大きく変わってくる。投げたショー

ト(遊撃手)は、送球する距離を遠いと判断し、どのタイミングでセカ

ンド(二塁手)がベースにはいるかということを想定して送球したが、

送球を捕球し1塁へ転送しようとするセカンド(二塁手)は、自分がベ

ースにはいるタイミングを考え、当然トスされたボールが送球されてく

ると判断している。ここで、2人のプレーヤーがコミュニケーションを

取ることにより、このミスに対する意志の疎通が図られ、次のプレーで

ミスの起こる確率を少なくする。

 このようにコミュニケーションによってプレーの確実性やレベルを高

めることは当然の結果であり、また、日ごろからコミュニケーションを

必要とした「意識」「意志」の高い集団であれば、1つのコミュニケー

ションの場面が全体に共有されることも多々ある。

 「意識」「意志」を高めるために、自分の「意志」を的確に整理して

伝えることができるというコミュニケーション能力が備わった選手であ

ることも求められる。このコミュニケーション作業においても、「返

事!あいさつ!声!ダッシュ!!」が生み出す「空気」は確かに関連の

ある事実である。

 

 コミュニケーションの必要性は選手同士だけのことではなく、監督・

コーチと選手のあいだにおいても同様である。監督は選手に対してサイ

ンを出す。1つのサインによるプレーがどのような意味を持っているの

か、監督がこのプレーで何を意図しているのかが選手に伝わらなければ

ならない。

 チームが先攻で1回表、無死で先頭打者が四球を選び出塁した。監督

は次打者の1球目の「待て」のサインをだした。この「待て」は「単に

1球様子を見る」といった「待て」ではない。監督の「意志」は、試合

開始直後の投手の調子に加え、心理状態も読みとろうとした「様子を見

る」ための「待て」を選択している。このことについては打者に伝わっ

ているかも知れない。

 しかしながら監督はさらにこの状況に加え、さらなる「考え」を持っ

ている。もしも相手がこちらの攻撃をバントと決め、三塁手が前進守備

体系からバントをさせまいとプッシュをかけ、さらに投球と同時に一塁

手もプッシュをかけ、二塁手は一塁ベースカバーにはいるという確実に

バントと決めつけた守備体系をとるなら、打者にとってヒットゾーンは

拡大する。もしも相手が攻撃のさまざまなバリエーションを想定し、そ

れほどプッシュをかけてこなければ、逆にこちらはバントを選択し成功

させる確率は高くなる。

 相手投手の試合開始直後の様子と心理の状態だけでなく、相手の「考

え」を引き出し、こちらの「考え」を選択しようとしている。ならば、

この「待て」は「単に1球様子を見る」だけではなくなるので、監督か

ら「待て」のサインを受けた打者はバッターボックスでバントの構えを

してみるといった「行動」を実行しなければならない。バントの構えを

見た相手が1回表、無死走者1塁といった状況をもとにバントと決めつ

けた守備体系を選択するならば、バント姿勢からカウントによりバス

ターという攻撃の選択も生まれてくる。牽制球がないならば単独盗塁で

スタートを切ることもありうる。

 こうした監督の「意志」の疎通は、日ごろの徹底した練習とコミュニ

ケーションが重なり成り立つものである。この「意志」の伝達ができる

か否かは「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」ができている集団とで

きていない集団では伝達速度も伝達精度も違ってくる。「返事!あいさ

つ!声!ダッシュ!!」の持つ要素は単純なものではない。

 

 さきほども述べたが、勝つときには必ず「勝因」があり、負けるときに

は必ず「敗因」がある。「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」の実行

はまぎれもなく「勝因」である。

 

「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」とこだわり、そして責任感

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」が自分のものとして身につく

ようになると、「行動」が変わり「習慣」が変わってくる。毎日毎日汗

を流して練習し、監督・コーチが意図する指示を自分の中で確実に理解

し、また、繰り返しの練習の中で自分のものとして身につけるといった

サイクルが生まれる。

 ただし、繰り返しにおいては単なる繰り返しでなく、さきほども述べ

たようにそこには「考え」や「意志」がなくてはならない。繰り返し練

習(反復練習)は確かに必要であるが、繰り返し練習の仕方(内容)が

その質を問われる。その質とはつまり繰り返し練習の中に「考え」や

「意志」が存在するか否かがポイントである。 打者が繰り返し練習で

素振りをする。よく目にする光景だかチームの何人かが輪になり、順番

に「いーち、にー、さーん・・・」と号令をかけ、それの号令にあわせ

て数人が素振りをしている。このとき選手たちが受けている指示は「1

00本素振りをしなさい」とか「200本素振りをしなさい」という指

示が多い。この素振りを見れば、日ごろのチームの練習の状態や個々の

選手のモチベーションやこだわりがよくわかる。

 素振りをしている選手に「いま振ったのは、どのような投球に対して

ですか?それは内角ですか?外角ですか?高めですか?低めですか?

直球ですか?変化球ですか?」などと問うてみると、「考え」や「意

志」を持ち、質の高い練習を、日ごろからコミュニケーションを重視し

ながら指導されている選手たちは答えることができる。

 しかしながら形の整った練習と外からは見えても、案外この問いに対

して答えることのできる練習をしている選手やチームは少ない。自分は

いま「真ん中の直球」に対して、「外角カーブをライト方向へ」、「内

角高めの直球を叩けるように」というように、「考え」「意志」を持ち

素振りをするのが素振りであり、その素振りを複数回繰り返すことが繰

り返し練習である。「考え」「意志」のないものは練習と呼ぶにはふさ

わしくない。

 確かにバットを振る、素振りをするということは、筋力的にも必要で

はあるし無駄であるとは言わない。しかしながら「考え」「意志」のな

い素振りを100本続けるならば、「考え」「意志」を持った素振りを

50本こなす方が有効であろう。そこには素振りをしている選手が、

「うまくなりたい」「打てるようになりたい」「内角の速い球に振り遅

れたくない」「外角の変化球をうまくライト方向へ打ちたい」といった

「考え」「意志」につけ加え、家に帰ってでも素振りをしようという高

いモチベーションや「こだわり」や、自分は良いプレーをしたいという

思いや、またレギュラーなら自分はレギュラーであるといった「責任

感」が、「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」とともに育っている。

 

 イメージトレーニングというものがあるが、「考え」「意志」をもち

「こだわり」「責任感」が生まれると練習は必要不可欠にイメージされ

たものとなる。先ほどの素振りも1つの例であるが、投手のブルペンで

の投球練習にも顕著に結果が現れる。例えば60球の投球練習を指示さ

れたとすれば、ただ単に60球投げ込んでも60球であるし、1球1球

いま打者は右打者なのか左打者なのか、カウントはいまどのような状況

であるのか、ランナーはいるのかいないのかなどと、場面を想定し「考

え」を持ち練習しているのとでは当然結果が変わってくることは疑いの

ないことである。

 場面を想定した「考え」の伴った繰り返し練習をしていないと、実際

の試合ではなかなか自分がイメージしたボールを投げ込むことはできな

い。自分がピンチに立ち、困ったときは「外角低めに直球を投げ込む」

とか、「このカープではかならずカウントがとれる」といった「こだわ

り」を持ち、その中でウイニングショットを完成させる。「自分が投げ

るんだ」「自分が試合をまかされているんだ」という「責任感」がモチ

ベーションの高い練習をつくりだすのである。

 

 「行動」に変化が現れる状態までモチベーションが高まっていれば、

選手はチーム練習を離れても個々の練習を計画的に実践するようにな

る。家に帰って時間を有効に使いランニングをしたり、ダンベルトレー

ニングをしたり、素振りをしたりするようになる。しかも「考え」「意

志」を持ったイメージされた練習内容になる。また、練習で自分が感じ

取った内容や指示された内容を、自分の中で消化しメモに残すといった

場面もあるかも知れない。そこには「うまくなりたい」「レギュラーを

とりたい」という向上心が当然ある。チーム練習でうまくいかなかった

ことを整理して、うまくできるようになりたいという「こだわり」や強

い「意志」もある。

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」という今すぐ誰にでもできる

が、されど簡単なことではないということが実行できるというベースが

個々にあれば、チームも選手もどんどん向上していくのである。指導者

は、個々の選手のモチベーションを高め、「考え」を持った「行動」が

できるように、コミュニケーションを活用しながらチームづくりをする

ことが必要である。家に帰ってからも自主トレーニングをしようと「思

い」、「できる」選手がたくさんいたなら、それは指導者が良い練習が

できていたという1つの「結果」であろう。

 

 「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は形だけのものではない。そ

こには「心」が育っていなければならない。「心」が育っていないもの

は「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」ではない。「返事!あいさ

つ!声!ダッシュ!!」には「こだわり」と「責任感」に加え「誇り」

もある。自分は野球人であるという「誇り」、自分は「このチームの一

員である」という「誇り」である。

 チームの名がはいったユニフォームの袖に腕を通すということは、自

分はそのチームの一員であるという責任を担っているということであ

る。練習ユニフォームの袖に腕を通すということは、自分は野球人であ

るという「誇り」を担うということである。野球人ならば「さすがに野

球をやっている人は素晴らしい」と言わせたいものである。また、「さ

すがに野球をやっている人は素晴らしい」と言わせることのできるもの

を備えなければならない。

 野球の練習は一生懸命取組んでいるかも知れないが、教室での行動は

とても一生懸命とは感じとれないような選手がいたなら、野球の練習で

の一生懸命は一生懸命と呼ぶに値しない。野球でのプレーは高い技術を

持っているかもしれないが、とてもひたむきに一生懸命といった学校生

活態度でないといった選手がいたとすれば、プレーの技術は高いかもし

れないが、その技術はいつかもろく崩れる場面があるであろうし、その

選手は一流選手ではない。それらには「人格」が備わっていないからで

ある。

「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は、「ひたむきさ」と「丁寧

さ」に勝るものはないという要因がなくてはならない。「奇跡」は偶然

に起こるものではなく起こすべく必然なものである。まぎれのない事実

は「丁寧さ」と「ひたむきさ」に勝るものはなく、「丁寧さ」と「ひた

むきさ」によって生まれる結果は信じることができるということである。

 

繰り返すが、勝つときには必ず「勝因」があり、負けるときには必ず「敗

因」がある。「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」の実行はまぎれも

なく「勝因」である。

 

「!」は「返事」「あいさつ」「声」「ダッシュ」1つ1つへの気合と

完結と思いであり、最後の「!」は「返事!あいさつ!声!ダッ

シュ!」全体への気合と完結と思いを表している。完結ということは、

それぞれが独自でも大切なことであるという意味であり、生半可なもの

ではないということである。「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」

は、これからも大切に伝えていきたい。

 

「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」に勝るものはなし。

前進あるのみ!